shirokumaraidaer-loveのブログ

突然の出来事で立ち止まっている自分への日記

重くのしかかる

一昨日の夜、彼の姉よりlineで連絡があった。彼の車の事でした。彼が亡くなって1か月が過ぎますが、
ほとんど連絡をしませんでした。
理由は、色々ありました。彼を看取った後から、彼の姉の帰郷までの間の事が原因です。
たぶん聞いたら、何で?と思います。
たった数日間の出来事ですが、私にはすごく重く考えてしまう事ばかりでした。



彼の気持ちを汲んでほしい・・・。それを言えない現実との葛藤が、今後もあるかと思うと、更に
沈んでしまいます。


毎日が苦しい・・・。

あの日の事

彼の病気が発覚して、手術してからは、入院中はほぼ毎日仕事が終われば病院へ行き、週末は面会時間一杯居てと、彼のところへ行く時間を大切にしていました。

退院後、しばらくは週1日おきに彼の家へ仕事が終われば行き、ご飯を一緒に食べ、そのまま泊まり、朝早く自宅へ帰る事をしていました。近くに彼の家族はいませんし、ほかに頼む事を考えていなかったからです。

3ヶ月で再発し、ザーコリが効くようになってからは、週の火曜・木曜がお泊りをする日になりました。

週末は彼と過ごすのは以前と同じ。確かに彼との一緒の時間は大切ですが、自分の自由にできる時間が殆どなくなってしまい、イライラしていたのも事実です。

あの日も、同じように彼の家へ仕事が終わってから向かいました。けれどいつもとは違い、胸騒ぎがあり、いつもより更に車を飛ばして向かいました。



家に着くと、電気がついておらず真っ暗・・・。また寝ちゃってるのかな?と思い、声をかけながら
玄関のカギを開けて入り、部屋の電気を付けながら声をかけた瞬間・・・
彼の顔が見え、異変に気づきました。呼んでも、体を揺らしても、肩を叩いても彼は何の反応もないのです。何をどうしたらいいのか・・・救急車だ!!何番だっけ??急いでかけ、すぐ来てと言い、住所と彼の名前、年齢、状態を伝える。指示に従い心マッサージを施す。程なくして、救急車が来てくれた。
後は、呆然と彼への施しを見つめるばかり・・・そのまま救急車で搬送。かかりつけを伝えたが、事が急を急ぐため、依然掛かった病院へ搬送された。私はそのまま待合室で待つよう言われたので、彼の姉と母へ電話をした。
姉は出ず、母は旦那が入院していて直ぐには行けないと・・・。姉は夜勤だと教えられた。憤りを感じた。自分の息子命が危ういのに・・・。
彼が話していた事を思い出し、近しい知人に連絡した。みんなを待っているその間に呼ばれた。医師から告げられた・・・30分頑張ってみましたが、全く反応がありません。これ以上続けても、無理ですから、よろしいでしょうか?と。え?それはどういう事?私に聞いているの?何を?全く分からなかった。
心電図の電源を切られた瞬間、彼はもう戻ってこないんだと思い知らされた。ドラマで見るあの光景が進む。そして、死亡確認をされた。
彼が死んでしまった事実を私一人が聞かされた・・・しばらくの間、分からなかった。
なんで?なんでなの?ねぇ~。


今の私は、家に着き電気を付けた瞬間から停まっています。あの時の彼の顔が忘れられません。早退していれば、もっと早く来れたら、自力が無理なら救急車でと電話すれば良かったと、思い出すたびに自分を責めてしまいます。自責の念とはこういうことなんだと彼から最後に教わりました。後悔しても後悔しても、結果自分を責めてしまう。


今出来るのなら、彼へごめんなさいと言いたい。彼の本当の言葉を聞きたい。現実、できないんですよね。

本当なら、入院していてもおかしくはなかったんじゃないかって。後日、かかりつけの医師に確認をしましたが、そんな状態じゃなかったと言われました。


毎日が苦しいです。

結局、自分を責める事になってしまいます。あの日は、幻であってほしい・・・

1か月が経ちました

彼が亡くなってから早1か月が過ぎました。
彼とは、職場関係で知り合いお付き合いしてから、10年が過ぎました。ここ数年は、彼の事で色々ありました。
一昨年の冬は、尿管結石で1週間入院。毎日通いました。雪が降って大変だったのを覚えてます。
昨年の年明け後の2月に話せないほどの咳きこみで、2人で近くの内科へ受診。レントゲンを撮り肺に影があると言われ、近くの中核の病院へ紹介状を貰い、次の週に受診。診察から検査を受け、待合室でしばらく待たされ、昼過ぎに呼ばれ、女医さんから言われた一言が『肺癌です』と。ここでは治療は出来ないので、別の医療機関へ紹介状をと言わた。その後そのまま帰宅してから、早一年過ぎ。
2人とも、こんなに早く別れが来るとは思っていませんでした。
今の私は、あの日から、時間が止まったままです。
彼が生きた証と、私自身の為に、書いていこうと思います。